ローヤル油機の新たなストーリーを作る――父親の“人生そのもの”を引き継ぎ、歴史ある会社の社長になった男が描く未来とは

レッド

written by ダシマス編集部

福島県いわき市に本社を持つローヤル油機株式会社は、創業54年になる歴史ある企業の一社です。オイルやグリスといった潤滑油のスペシャリストとして、発電所や工場など多種多様な現場で使われる機械を支える重要な役割を担ってきました。

今回はそんなローヤル油機の代表取締役社長、佐藤 義道(さとう よしみち)さんにお話を伺いました。歴史ある会社の社長を引き継いだリアルな想い、そして今後はグローバルな事業も展開していく佐藤さんが目指すもの、そして思い描く未来とは。

代表取締役社長 佐藤 義道(さとう よしみち)さん

代表取締役社長 佐藤 義道(さとう よしみち)さん

18歳高校卒業までいわき市で育つ。大学4年間東京、新卒で1部上場企業に就職し大阪支店配属で4年間勤務。先代から「会社継ぐこと考えてみないか?」と相談され、いつかは独立して挑戦してみたいという気持ちがあったこともあり前職を退職して地元へ戻り会社を継ぐ前提で帰郷。父親と商工会担当者の勧めで1年後に中小企業庁が運営する後継者養成学校にて10ヶ月学び、その後大学時代からの夢だったロンドン海外留学を6ヶ月経て再帰郷し本格的に承継に向けて仕事をスタート。2019年代表取締役社長に就任。

取材・執筆:大久保 崇

取材・執筆:大久保 崇

『ダシマス』ディレクター。2020年10月フリーランスのライターとして独立。2023年1月に法人化し合同会社たかしおを設立。“社会を変えうる事業を加速させ、世の中に貢献する”をミッションとし、採用広報やサービス導入事例など、企業の記事コンテンツの制作を支援する。猫ファーストな人生。歩くこと、食べることが好き。

社長に就任し最初にぶち当たった壁

 

――佐藤さんはどういった経緯でローヤル油機の社長になられたのでしょうか。

実際に社長を引き継いだのは3年前です。父親も80歳に近くなってきたことを理由に、2019年10月から社長に就任しました。

「50年以上続く会社を継がないか」と言われたのは僕が25歳の時です。父親は26歳で起業し今80歳なので、設立からもう54年になりますね。

当時、僕は大阪にいたのですが「継がないなら会社を売る」という話も出ていました。長年続けてきた会社を売ると聞いてかわいそうに思えてきたのと、僕自身もいつかは自分の会社を持ちたいという気持ちもあったので継ぐことを決めました。

ローヤル油機に帰ってきておよそ12年が経つのですが、3年前に社長交代するまでの9年間はずっと営業をしていました。僕は営業の仕事が好きで、自分の思うとおりに営業ができると益々楽しくなってきましたね。お客様に支持され売り上げも上がり、自分が会社の利益を出せるようになった時は特に充実していました。

ただ、その9年間は本当に営業ばかりしかしてこなかったんです。

3年前社長になった当時、形式的なことも含めて社長としてすべきことを父親に教えてもらいながら取り組んでいました。ですが、「そもそも企業とは何のためにあるのか」、「何の為に仕事をするのか」といった考え方は圧倒的に足りてなかったと思います。

「社長になった。じゃあ10年後の目標は何なんだ?」となると答えが出なかったんです。ただ会社の理念である「機械に愛を届けます」をモットーに頑張る、としか言えず……。そしてその理念も、表面的にしか理解できていませんでした。

「機械に愛を届けます」という言葉は父親が作ったもので、何度かどういう意味なのかと聞いたことがあります。最初僕が思っていたのは、「使用している機械設備を整備したいがどんな油を使っていいかわからない」という人のもとへ行き、適切な商品を届けたり使い方を提案したりすることが「機械に愛を届けます」という意味でした。ですが父親に聞くと、それは違うと言われまして。

「機械をもっと大切にしようという気持ちそのものだ」と言われるものの、何度教えられても、全くその意味が自分には理解できなかったんですよね。

 

企業理念「機械に愛を届けます」の原点を理解

 

ですがある日、田んぼ道をランニングしていた時、たまたまトラクターを動かしている農家のおじさんを見かけたんです。

その瞬間、頭の中にその人が笑いながら機械を手入れしている絵が思い浮かびました。そして天から神が舞い降りてきたかように「機械に愛を届けます」の意味が分かったんです。

「もしかしてこのことか……!」

そう思った瞬間、走りながら一人で大泣きして家に帰っていました。僕は10年間このために仕事していたのだと分かった瞬間、一人でものすごく感動してしまってボロボロ泣きながら帰ってきたんです。すぐ父親に意味を尋ねたら、「その通りだ」と言われました。

結局何がわかったかと言うと、それは父親が起業した原点なんです。

元々、この四倉町というところには漁港がありました。2011年3月11日の原発事故の影響で漁師さんがほとんどいないんですね。50年前は立派な漁師の町だったんです。

父親はそんな町で、小さな漁船にエンジンオイルを売ることを始めた人でした。漁師さんに営業する中で分かったのは、機械を大事にする人とそうではない人の違いです。

代金回収に行っても機械が壊れて漁に出られない人は、「漁に出られなくて稼げてないからオイル代は払えない。来月また来い」と言います。当時はそれがまかり通る時代でした。そんな中、一人の秀でた漁師さんに出会います。とても機械を大事にする人で、父親はその人に機械を大事にする感覚を教えてもらいました。

それから毎日、その人の役に立とうと思って営業に行ったみたいです。その時に機械の中なども実際に見せてもらいながら、かなり詳しく教わったと言っていました。オイル交換のタイミングは音を毎日よく聞いたり、発熱していないかだったりを確かめて見極める。「機械は人間と同じようなものだ」と父親はその時に実感したのだと思います。

「機械に愛を届けます」というのは、この漁師さんのような人たちと“一緒に商売することそのもの”なんです。まさに父親と漁師さんとのやりとりそのものが、「機械に愛を届けます」なんですよね。

 

 

――それがローヤル油機を作った原点だったのですね。

理念の意味を理解できた時、僕ははじめてこの会社を本気で経営したいと思えました。

それまでは大した社会経験も実力もなく、人を統率する力なんて全くない。そんな自分に本当に社長が務まるのか、継いだら潰してしまうのではないかなど不安だらけでした。

でも「機械に愛を届けます」という言葉が理解できてからは、仮に借金ができたとしてもこの仕事を続けたいという気持ちに変わったんです。

社長を交代することや事業を引き継ぐことは、形式上しようと思えば簡単にできます。ですが本当の意味で引き継ぐというのはどの瞬間にあるのか。それは単に事業を引き継ぐのではなく、親の人生そのものを引き継いだ瞬間なのではないかと思うんです。

 

――本当の意味で会社を引き継ぐというのはそのくらい大変なことなんですね。

機械がしっかりと動いてくれるようになるには、正しい潤滑油やグリスの知識が必要不可欠です。父親は商売を通じて、これが自分の役割だと思って仕事をしてきたと思います。必要としている誰かがいる限りは、自分の使命だと思って全うしようとしたはずです。

僕はその生き様そのものを引き継いだのだと思っています。

 

 

少量多品種販売は右肩上がり。お客様の要望に応えたことで生まれた成功事例

 

――ローヤル油機社はSDGsの重要性がさけばれる前から、使い切れない程の量で販売せず、少量多品種販売を心がけていらっしゃるとのことですが取り組まれた理由や背景を教えてください。

これも父親の実体験が関係しています。創業して10~15年した頃にできた福島第1原子力発電所の現場を助けようとしたことが始まりです。

原子力発電所にはおびただしい数の機械が置いてあり、その種類も様々です。そんな機械達を、年に1回もしくは2年に1回、必ず点検をしなければいけないと法律で決められています。

機器の点検や修繕にはオイルやグリスが必要です。こうしたケミカル品(化学的に作られた液体のこと)の容器は、200リットルのドラム缶や20リットルのペール缶といったバケツより少し大きいくらいの容器で売られていることが基本です。しかし補修に必要なオイルやグリスは、少なくてもせいぜい1~5リットルくらい。大半が余ってしまいます。

原子力発電所は放射線管理の関係で、一旦発電所の中に入れたケミカル品を廃棄するためには、その商品を買った担当者が10枚くらい申請書を書かないと廃棄できません。中に入ったものを外に出すには多くの人の承認が必要になるため、非常に手間がかかります。だからこそ、廃棄せざるを得ないケミカル品が増えることは現場としては望ましくありません。

また余ったオイルやグリスは消防法上危険物にあたるため、一時保管するにも危険物倉庫に入れておく必要があります。それである日、余ったオイルやグリスが倉庫に入りきらなくなってきた時に、担当者が「必要な分だけ持ってきてくれないか」と相談してこられました。保管管理や廃棄の負担が大きかったためです。

ただ、原子力発電所で使用するものは他の一般企業が使うようなものではないので、自分達がその余りを引き受けるとなると他で売ることはかなり難しいです。それでも、父親は大事なお客様だからと難しいことを承知の上で、なんとか引き受けることにしました。

 

――その余ったオイルやグリスは結局どうされたのでしょうか。

インターネットを通じて売りました。元々狙っていたわけではないのですが、この話があったのが1995~2000年の頃で、世間にインターネットやホームページが普及し始めていました。

そこで知人にホームページを作ってもらい、オイルやグリスを1~2本といった少量で販売していることをネット上に出してみたら、かなりの問い合わせをいただいたんです。この時、少量で欲しいと思っている人が他にもいることが分かりました。

今では170種類ほどを少量で販売しています。インターネット販売を始めて20数年になりますが、登録顧客数は5千社を超えました。

――お客様のためを思って身を削ったことが、結果的に良い方向につながったという良い事例ですね。

 

新しい若い力がグローバル事業発展の鍵

 

――貴社ではどのような方が働いておられるのでしょうか。職場の雰囲気などお聞きかせください。

辞める方が少なく、長く勤められている方が多いです。私が入社した時にいる方も、ずっとそのまま働いていただいています。最近、若い30代の方も入社してくれたので、堅い雰囲気は幾分か和らいだと思います。

こうした若い方達が入ってきてくれて感じているのは、今の若い世代の人達は「仕事が楽しいか」や「人間関係が問題ないか」など、給与面以外の所を大事にしている人が多いということです。

元々、働きやすい雰囲気を作れないと会社を継続していけないかもしれないという懸念はありました。だから今の堅い雰囲気は崩さなくてはいけないと思って、僕なりに考えて取り組んではみたのですが上手くいかなくて……。

具体的にしたことは、下の名前で呼び合いましょうということでした。ですが実際には何も変わらなくて、「やっぱりそんな簡単には変わらないよな」と思い若干諦めていたんです。

そんな時に若い方が入社してくれたのですが、僕は当時、社内の堅い雰囲気に押し流されて働きにくいと思われないか心配していました。ですがそれは全くの杞憂でした。

まず社内が明るくなりましたし、私のように頑張らずに自然と皆のことを下の名前で呼ぶ人もいます。こうした若い人達が増えてからは、仕事中の話し声の中に笑い声が増えたように思います。僕たちだけでは中々できなかった雰囲気作りが、気づけば出来上がっていたんですよね。

 

 

「やりがいを持って仕事できるか」ということと「仕事が楽しい」ということは、働く人にとっては時にお金以上に大事なことです。

やりがいに関しては、例えば僕が目標設定し、達成したら「頑張ったな」と言える道を設定すれば作れるかもしれません。ですが仕事が楽しいかどうかは、職場の雰囲気も大きく影響するので僕一人がどうこうできることではないんですよね。

こうした雰囲気を作ってくれた新しい仲間に、本当に感謝したいです。

 

――経営者がやりがいを作り、楽しい雰囲気は若い世代が作るというのはとても良い分担ですね。

そうですね。まだ道半ばですが、新しい風が職場に流れ出していてとても良い傾向だと感じています。

 

――新しいメンバーも増え、今後はどのように事業展開をしていこうと考えているのかお聞かせください。

新しいエネルギー産業への取り組みに注力したいと考えています。その産業とは風力発電です。

先ほど原子力発電所の話をしましたが、原子力だけでなく火力発電所などエネルギーのインフラを担う業界は私たちにとって大切なお客様です。ただ、これらは脱炭素の流れや原子力発電所が動かせないといった課題を抱えています。そこで注目されたのが風力です。

 

 

ですが風力発電の業界は発電機となる風車を作っている会社がスペイン、デンマーク、アメリカ、フランス、ドイツにしかなく英語を必要とします。また、弊社では2011年から10年以上中国、韓国、ベトナム、シンガポールにオイル・グリースの輸出販売を行っており、今後は英語版ホームページも作成して更なる輸出販売の拡大を狙っています。一層グローバルな領域に踏み込むことになるので、英語など海外の企業と意思疎通できる体制を作ることが重要なのです。

僕も多少話せるとはいえ、まだ片言に近い。ですが、最近入社してくれた社員には英語が話せる者もいます。今後も社員と連携しながら、会社全体でグローバル展開を進めていきます。

なにより福島県では4~5年前から風力発電産業を県内に作ろうという動きが強まっています。原子力発電所がなくなったことによって失った産業を、新しい需要やマーケットで次の産業を起こしていこうというのが県の狙いだからです。

再生可能エネルギーに対する助成金や税金を使って産業を起こそうという動きが広がり、風力発電、太陽光、バイオマス発電、リチウムイオン電池などの会社が増えています。水素燃料車のテストフィールドやロボットテストフィールド等も浪江町に作られました。

こうした県の動きも見逃さず、新しい取り引き先を獲得するために取り組んでいるところです。

働く環境もグローバル展開も、まだ青写真を描いたに過ぎないのですが、一歩ずつ実現に向けて歩みを続けていきます。

あまり知られている業界ではありませんが、非常にやりがいもある仕事なので少しでも多くの方に興味をもっていただけたら嬉しく思います。

 

 

取材後記

歴史ある会社の貴重な創業秘話や二代目として感じてきたリアルな葛藤など、非常に熱量高くお話いただきました。また、オイルやグリスといった商品が原子力発電所など大切なエネルギー産業に貢献していたり、今後はグローバルな展開を進めていく構想だったりと、今後のローヤル油機社の活動に期待せずにはいられないと感じました。

またローヤル油機社は2021年8月に2階建ての新社屋を竣工しました。2019年10月に猛威を振るった台風19号(東日本台風)の体験を踏まえ、持続可能な社屋とするため2階建てにして1階の床高さを高く設定し、休憩室などのコンセントも高い位置に設置するなど対策も万全。最後はそんな新社屋の写真をご紹介します。

 

 

 

 

ローヤル油機の詳細・採用情報はこちらから

◆HP http://www.loyal-grease.jp/

◆求人情報 https://hr-hacker.com/loyalgrease/job-offers

 

この記事をシェアしよう!

  • hatena