【ダシマス老舗・長門屋】歴史を大事にしつつ変化を恐れない姿勢で、世界に通用するお菓子屋へ

レッド

written by ダシマス編集部

創業30年以上の老舗企業に焦点を当てる本企画。持続的な成長と成功をおさめ、時代をまたぎ社会に貢献してきた歴史を紐解き、その長い期間によって培われた文化や知見から、多くの人に気づきとインスピレーションを与えることを目指しています。

今回は、福島県会津若松市にて嘉永元年(1848年)に創業した和菓子屋、会津長門屋(以下:長門屋)の歴史を紐解きます。伝統や技術を大事にしつつも、変化を恐れず現代に合った新しい形の商品を提供することで『世界へも通用する究極のお菓子』へも認定されるお菓子を製造している長門屋。175年経った今も、会津の地でお菓子を作り続けています。

お話を伺ったのは社長の鈴木哲也(すずき てつや)さん。後を継ぐ前は一般企業で働くサラリーマンだったのですが、結婚し婿養子となり、14年前に長門屋を継いだそう。それまで和菓子に全く関係ない仕事をしていた鈴木さんが、伝統ある長門屋を継いだ当時のことやそこで経験した変化、そして今後に向けての想いを話していただきました。

代表取締役社長 鈴木 哲也(すずき てつや)さん

代表取締役社長 鈴木 哲也(すずき てつや)さん

1973年、神奈川県鎌倉市生まれ。結婚を機に会津長門屋に入社し6代目を継ぐ。地元の食材や伝統技術を活かしながら、夢のある和菓子で皆様に笑顔をお届けしたいとの想いで日々和菓子づくりに挑む。

執筆:山本 麻友香

執筆:山本 麻友香

元ハウスメーカー勤務の実績やブログ執筆経験を活かし、フリーランスライターとして活動中。2017年生まれの1人息子がいる母でもある。好きなことは、スポーツをすること、見ること、食べること、寝ること。

結婚を機に和菓子の世界へ。ときに柔軟な視点から新しい和菓子の着想も

 

――まずは、創業の経緯について教えてください。

当時の会津藩のお殿さまより「庶民のための菓子を作れ」と命じられ、お菓子屋を創業したと伝わっております。創業当時は幕末でしたが、明治期に菓子組合を立ち上げ、砂糖の共同購入をしたなどの記録も残っており、さまざまな苦労があったようです。その後も物資不足の戦争期、近年では東日本大震災など困難もありましたが、創業時の心を受け継ぎお菓子を作り続けています。

 

――そのような歴史ある会社を継いでいくことへの心境を伺えますか。

私はサラリーマン家庭で育ち、自分自身もサラリーマンとして働いていた中で、縁があって実家がお菓子屋であった家内と結婚し会社を継ぐことになりました。そのため、小さい頃から老舗の考えや経営のことについて生活の中で培われてきたというわけでもなく、専門のお菓子屋さんに入った記憶は旅行に行ったときくらいしかありません。

最初は歴史や経営について学ぶという以前に、お菓子のことを勉強しなければなりませんでした。お菓子屋さんの跡継ぎとなると、製菓学校に行って他のお菓子屋さんで修行して技術を身に着けて帰ってくるという方が大半です。私は35歳にして異業種から入ってきたので、同じような流れで学んでいては何年かかるかわかりません。

そこでまず工場に入って、職人の見習いのように長門屋のお菓子を実際に作りながら勉強していくところからスタートしました。当時の工場長が、和菓子の世界で50年以上の経験を持った職人で、その方にゼロから教えていただけたのが私にとって本当に運が良かったです。30歳半ばからのスタートでいわばマイナスからのスタートでしたが、周りに支えていただきながらここまでやってこれたと思っています。

最初の3年間くらいはずっと工場に入りっぱなしで、その後も工場でお菓子を作りながら、時期によっては物産展でデパートに出張販売をしに行くなどいろいろな経験をしました。経営という部分に関わりだしたのは本当にここ3〜4年(取材時:2023年11月)くらいです。

 

――サラリーマンから職人の世界に入り、ギャップを感じたことはありましたか。

ギャップを感じたということはなく、ものづくりの楽しさを感じました。直接手に取って召し上がっていただけるものづくりということで、「美味しかったよ」と直接生の声を聞けるというのは嬉しいなと思っています。

 

――反対に専門外だったからこそ、良い影響があったと感じたことはありますか。

お菓子の業界でずっと勉強してきた人と比べると、ある意味勉強不足の部分もありますが、素人だからこそ今までの枠にとらわれず、プロができない発想が出てくることもあると思っています。

例えば羊羹ファンタジアというお菓子は、パウンドケーキの焼き型をひっくり返した状態を想定して、羊羹を流して作っているんです。切ったときに羊羹が乱反射して綺麗だなと思って試してみました。普通は、パウンドケーキの型をひっくり返して使おうとは思わないでしょう。

このお菓子は、現代の食生活では切るのが面倒であったり、個食が進み小さいサイズが好まれたりという中で、改めて、昔の食卓では当たり前にあった「ひとつのものをみんなで切り分けて楽しむ」というきっかけを感じて頂けたらと思って開発しました。消費者に近い視点だったからこそ出来たのかもしれません。

 

新しいものを取り入れながら、時代に合ったお菓子を作り続けてきた

 

――長門屋の特徴について教えてください。

お菓子と言っても毎日自分が食べるお菓子、贈り物のお菓子などいろいろですが、世間一般には、長門屋はこだわりのお菓子、手土産に向くお菓子を作っている会社という認識が広まっているのではと感じています。

コンセプトとしても、機械で量産の品物を作るのではなく、手作りで手間をかけながら作り、贈り物にふさわしいパッケージや「贈る方の気持ちを込められる品物」にするということを意識しています。

 

――元々、贈り物の需要に応えた商品展開だったのでしょうか。

実は私が入ったときには、長門屋としてどういう方向性のコンセプトでいくべきか、まとまっていなかったんです。元々は駄菓子でスタートした店ではあったのですが、駄菓子のお店、土産屋、お茶席のお菓子のお店といろいろな側面がありました。それは、長い歴史の中で、その時代に喜ばれるお菓子を何でも作ってきたために、お菓子の種類が過剰となってしまい、お客さまによって見方が違うという特殊な状態だったのかもしれません。

そのため、デパートでやるような全国の物産展では会津のお菓子屋ということだけで出店していて、強みを打ち出せていませんでした。そこで、自分たちがどういうお菓子屋でありたいのか、自分たちがお客さまにどういったお菓子を提供したいのか、何のためにお菓子を作っているのか見つめ直し、主役は「お客さまの笑顔」だとみんなで認識を統一したんです。お菓子を通じて人と人とをつなぐ架け橋となり、お客さまが笑顔になれるようなお菓子を作る。そんな想いを「笑顔のとなりにいたいから」というコンセプトメッセージに込めました。


――「笑顔のとなりにいたいから」という言葉に合う、ユニークな商品もたくさんありますよね。

改めてコンセプトや新しい商品作りを考えたときに、昔のものをずっと守っていくだけではダメで、常に変化をしていかなきゃいけないと考えたんです。

例えば、マドラーの先を縁起の良い形に型取った和三盆にしたシュガーマドラーを作ったり、棒付き飴のパッケージを贈り物にふさわしいデザインに変えたりしました。このように、ちょっとした変化の中にも新しいものを取り入れ、時代に合ったものを提供していくことが、100年以上お菓子を作り続けながらも大事にしてきたことだと思っています。

この間テレビ番組のマツコの知らない世界で取り上げてもらった、献上柿である会津の身しらず柿を使った是山(これやま)という商品があります。身しらず柿は渋柿で、加熱をすると渋が戻ってしまい加工が難しいことから、六次化開発に悩んでいた「会津みしらず柿協議会」さんから依頼を受けて開発を始めました。加熱がなかなかできないものをお菓子にするのは非常に難しいことでしたが、地元の良い食材をなんとかお菓子にして皆さまに知っていただけたらと思い、2年半かけてようやく新商品として出すことができました。新しい技術なども多く取り入れながら、沢山の方に協力してもらって完成した商品でしたので、店頭に並んだ時には本当に嬉しかったですね。このように、今まで難しかったことでも諦めずに工夫して新しく生み出していくことを意識しています。

 

――現代の人の味覚や感覚に合わせて日々新しい商品を開発しているのですね。

味覚や感覚だけの問題以外に、気候の問題もあります。ここ数年でも気温が全く違ってきているために、数年前まで全く問題なかったのに、温度が高いために問題が発生することもあるんです。そこの変化にも合わせてレシピを変えつつ対応しています。

ずっと一つの品物を作ってそれだけを守っているわけではなく、流動的にやってこられているということは私たちの強みかなと。変化せずにいると時代に置いていかれてしまうので、本質的なところは変えずに伝統を守りつつ、時代の変化に応じて新しいことを取り入れていくようにしています。

 

ルーティンの仕事への向き合い方で、成長できるかどうかが決まる

 

――従業員とはどのようにコミュニケーションを取っていますか。

あまりリーダーシップは意識せず、最低限の指示だけしてあとは基本的にお任せしています。社歴や年齢がまちまちの中で、それぞれのプライドを尊重して理解をしつつ、こちらの想いもきちんと伝えなければいけません。でもそれをトップダウンでやっても上手くいかないと思っているので、それぞれに権限を移譲することを大切にしています。

 

――会社の雰囲気はどのような感じですか。

職人さんだけでなくパートさんも含め、みんな忙しい中でも楽しくやろうというのをコンセプトにしています。「笑顔のとなりにいたいから」というメッセージは、お客さまに向けてだけではなくて、実は社内に向けた発信でもあるんです。忙しくて厳しい顔で作ったお菓子では、美味しいと思ってもらえないと考えているので。

ちなみに私がずっと工場にいるとピリっとしてしまいみんな無駄話をしなくなるので、最近はあんまり長居しないようにしています(笑)。

 

――和菓子の業界で働くことで感じられる良さ、やりがいについて教えてください。

職人さんでいうと、和菓子は大きな砂糖袋を運んだり大きい銅の窯でこねたりと、やっぱり体力仕事にはなります。でも食べ物ってすぐに感想をもらえるので、自分が一から作ったものを家族に食べてもらったり、お店でお客さんに買ってもらったりして、すぐに反応をもらえるのはすごく嬉しいことだと思いますし、ものづくりの良さを感じていただけると思います。

お菓子を作るのはどうしてもルーティンの仕事になりがちですが、その中で自分自身が毎日どういう気持ちで仕事に向き合うかによって成長できるか変わってきます。饅頭を1個包むにしても、昨日できなかったことを工夫したらできたとか、昨日はこれぐらい時間がかかったけどやり方を変えたら早くなったとか、頭と身体を使うことによって自分の成長が分かる仕事です。そこがやりがいを感じられるポイントですね。

 

――今後の長門屋の展望について教えてください。

今年が創業してからちょうど175年です。あと25年先の創業200年に向けて、変化を恐れずいろいろなことを試しながら、お客さまに喜ばれるものを提供し続けていきたいと考えています。

先代からは「別に何を作っても良いんだよ、極端な話、お菓子じゃなくても良いんだよ、それぐらいの変化をしてもいいんだよ」とよく言われていました。そのためには自分、家族、働いてもらっている従業員、そして従業員の家族もみんな笑顔になれるような経営を目標にしていきたいなと考えています。

また、東日本大震災のときには本当に全国の方に応援していただきました。あのときのたくさんの応援のおかげで今があるのは間違いないので、どこかで災害や困ったことがあったならば、できる限り協力し恩返しをしていきたいと常々考えています。

 

――ありがとうございます。最後に、読者に向けて一言お願いします。

仕事は、単に食べるためにということではなく自分自身を成長させるチャンスでもあります。だからこそ、特に若い方にはいろいろな仕事に興味を持ってチャレンジしていただきたい。お菓子屋さんはみんなに喜んでいただける仕事、喜んでもらえるものを提供できる楽しい仕事です。読者の皆さんに「お菓子屋さんは働きがいのあるところかも」と、少しでも興味を持っていただけたら嬉しく思います。

 

長門屋について

・ホームページ:https://nagatoya.net/

 

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