【ダシマス老舗・弓田建設】地元への恩返しで続ける無償の社会貢献活動。会津若松市とともに発展を続ける老舗企業の歩み
written by ダシマス編集部
創業30年以上の老舗企業に焦点を当てる本企画。持続的な成長と成功をおさめ、時代をまたぎ社会に貢献してきた歴史を紐解き、その長い期間によって培われた文化や知見から、多くの人に気づきとインスピレーションを与えることを目指しています。
今回取材したのは、土木・建築・舗装・不動産開発など多岐にわたる事業で地元会津地域を支える、株式会社弓田建設の代表取締役 弓田 八平(ゆみた やへい)さんです。
弓田建設の社是は、「発展と地域社会のために」。その言葉通り、弓田建設の歩みは、ひとえに地域や社会のために尽くし続ける日々で築かれていました。地元会津に注がれる見返りを求めない一途な愛情は、創業当初から変わることはありません。
ともに働く従業員への愛も欠かすことなく、地域とともに発展し続ける弓田建設。数々の社会貢献活動を続けてこられた行動の源泉に何があるのか、取材しました。
株式会社弓田建設 代表取締役 弓田 八平(ゆみた やへい)さん
1951(昭和26)年10月福島県会津美里町(旧会津高田町)生まれ。地元の小中学校を卒業後、地元の県立高校に入学。高校では生徒会長を務めた。卒業後は建設関係の仕事に従事。10代で独立し、27歳のときに弓田建設を創業。3年後に株式会社へ組織変更する。本年4月に創業45周年を迎えた。現在、会津若松商工会議所副会頭の要職についているほか、NPO法人会津鶴ヶ城を守る会の理事長も務めている。
執筆:神田佳恵
フリーランスライター。"何気ない人生にスポットライトを当てる"をテーマに、インタビュー・広報note・SNS・コピーなどの分野にて執筆活動中。コミュニティ運営や編集、マーケターとしても活動の幅を広げる。一児の母。夫と息子、note、推し、旅が好き。
建築にかかわることをワンストップで対応。すべては地域の発展のために
――まずは、弓田建設創業の経緯を教えてください。
創業は1979年、私以外は社員2人のみという小さな組織での始まりでした。
実は、私は19歳で一度別の土木関係の会社を興していまして、26歳で莫大な損害を出してしまい倒産させてしまった苦い過去があるんです。再起を図るならば同じ土木や建築のフィールドで!と腹を決め、再度起業したのが弓田建設、というわけですね。
――創業の背景には、当時の苦しい経験があったのですね。その後40年以上、地域住民の暮らしを支えてきた貴社の事業の強みはなんでしょうか。
弓田建設の特徴であり強みは、建設にかかわるあらゆることをワンストップで対応できる点ですね。私たちは自分たちの事業を、「総合建設サービス業」とうたっています。
昨今の技術は素晴らしいですから、今時は図面さえあればどんな会社も楽々と施工をこなしてしまいます。ならば私たちは、事前の資金調達や図面申請、そして竣工後のメンテナンスはもちろん、アパートなどの集合住宅の場合は入居者募集まですべて自社でやってのけるんです。
立派な御託を並べても、実態が伴っていなければ何にもなりませんので、やると決めたことは必ず実行する。真摯に行動していくことで、地域の信用や信頼を獲得できたのだと考えています。
――貴社の理念にも、地域への貢献意欲が表れていますね。
社是の「発展と地域社会のために」は、創業当初から一度も変えることなく掲げ続けてきた弓田建設の精神です。
人間誰しも支え合い、他者の力を借りながら社会生活を営んでいるもの。私たち弓田建設が展開する事業も、地域の皆様があってこそ。地域が潤ってはじめて、弊社への信頼も厚くなり、将来的な会社の発展へとつながると考えているんです。
地域のために私たちができることは何か、それをいかにして実行するのかを常に念頭に置いています。
――会社の利益や成長よりも、まずは地域の発展を最優先に考えているのですね。
この社是を唱え始めた当初は、社内の誰も支持してはくれませんでしたよ。特に2003年の小泉政権での公共工事削減政策が施行されてからは、会社としても厳しい時期で。理念も浸透せず、社内の士気も下がり、地域貢献のための最低限の財源すら危ぶまれる状態でしたので、思い切った社内改革の方向へ舵を取ったんです。
大金を投資して外部コンサルを召集し、推し進めた社内改革には、社員からの反対の声も相次ぎました。そんなことにお金を使うくらいなら、給料アップや新たな機材購入費に使用してくれと。でも機材はいずれ壊れるし、一時的に給与を上げてもそこに社員の成長が伴っていなければなんの意味もありません。
会社を離れていった社員もいましたが、会社の未来を思って敢行した決死の改革でした。
――社内改革によって、具体的にどのような変化が表れましたか。
最も大きな変化は、通常の営業予算とは別に、戦略予備費として予算組みをするようになったことです。市場調査や新事業発案などの活動のほかに、社会貢献活動のための費用もそこから捻出するように段取りし、なんとか社内の理解を得ることができました。
2003年当時は500万円前後の予算でしたが、今では会社の体力も安定し、年間5000万円まで拡大しています。社会貢献以外にも不動産などの新規事業展開に役立てているので、自社と地域の発展のために必要な判断だったと改めて感じます。
小学生の農業体験を、すべて自社負担で実施
――社会貢献としては、どのような活動に取り組まれているのでしょうか。
いろいろなことに取り組んではいるのですが、まずはNPO法人「会津鶴ヶ城を守る会」という団体を立ち上げて、会津のシンボルである鶴ヶ城周辺の清掃や保全・啓蒙のためのボランティア活動についてお話ししましょうか。
会津若松市は、観光と農業を主力産業とする街なので、毎年鶴ヶ城にはたくさんの観光客が足を運んでくださいます。でも個人的に、鶴ヶ城は単なる観光スポットではなく、地域住民に愛され続けてきた大きな価値を持つ場所だと考えているんです。秋にはお城周辺に植わっている1000本以上の桜の落ち葉を集めてお堀を守り、学校にお伺いして生徒さんにお城のことをお話しすることもあります。鶴ヶ城が今後も会津若松の地で長く愛されていけるよう、尽力しているところです。
――お城の保全活動を、ボランティアで行われているのですね。他にも活動事例はありますか。
主力産業の一つに農業があるとお伝えしましたが、農業分野においても未来のための奉仕活動をしています。農家の後継問題や高齢化などの課題は全国的にも叫ばれていますが、それは会津若松でも同じ。そしてそれは、農業団体だけの問題ではありません。
日本の食料自給率は38%(生産額ベースだと58%)まで落ち込んでいるといわれています。地域産業としてだけでなく、国内産業として考えても持続可能な状態にしていかなければならない。そこでまずは、子どもたちが幼い頃から農業に親しんだり、作物をつくる喜び、食糧・自然のありがたさに触れたりする機会を提供したいと考えたんです。
具体的には、地元の小学校とパートナーシップを結んで、ジャガイモ・玉ねぎ・さつまいもなどの作物を育てる「あいづ子ども夢農園」を運営しています。子どもたちが農業体験をする農地をすべて弊社で借り入れ、農機や苗、子どもたちのための送迎バスまで弊社負担で手配しているんです。畑は4月から11月までお世話が必要ですから、専属の担当員さんも雇用しています。
――農園運営にかかった費用は、野菜の売上金で補填しているのでしょうか。
いえ、運営費用は先ほどの戦略予備費からすべて捻出しています。売上金は参加してくださっている3校に全額寄付しているんです。とある学校では授業で使う楽器を購入したり、「弓田建設文庫」と銘打って書籍の購入代に活用していただいているようですよ。
――徹底した奉仕精神に脱帽の思いです……!どうしてそこまで地域のために尽くすことができるのですか。
ボランティアというのは、どこまでも徹底していなければならないというのが、私の持論なんです。そこに見返りを求める思いがあってはなかなか続いていかないし、無償でやり続けるからこそこちらの愛情も伝わっていく。
最初こそ反対する社員は多かったものの、成功事例ができると信頼してついてきてくれるものです。そうして会社の利益を担保したうえで地域のために動いていくと、自ずと地域の理解や応援の輪も広がる。プラスが積み上がっていくとどんどん状況も好転していく、いわばプラスのスパイラルが起きるわけです。
――弓田さんの、地域に対する深い愛情が伝わってきます。
もちろん。無一文の状態から私を救ってくれた会津の地域の方々には、いつも感謝の思いでいっぱいです。現在取り組んでいるすべての活動は、地元への恩返しのつもりでずっと続けていきたいと思っています。
2つのランドセルが運んだ奇跡。無償の社会貢献活動が報われた瞬間
――さまざまな活動をしていく中で、印象に残っている出来事があれば、教えてください。
絶対に忘れられない、「神様は見ていてくれるんだな」と実感したエピソードがあるので、お話させてください。
ある日、東京の友人から会津若松市長に会いたいという人がいるのでアテンドしてほしいと頼まれたんです。話を聞くと、どうやら海の向こうのタイからやってくるとのこと。観光関係の方かと思っていたのですが、実際にお会いすると世界数カ所で石炭を採掘している企業関係者だということがわかりました。
彼らが採掘を行なっている地域にはモンゴルも含まれていて、私はモンゴルへランドセルを寄贈する活動も行なっているので、話が盛り上がりました。今までに贈ったランドセルは3600個。ピアニカとリコーダーは1200台、文房具は15万点ほど。モンゴルは寒くなると地面が凍結し滑りやすくなるため、ランドセルは転倒時に子どもの身体を守るためにも役立ちます。そんな事情を知ってくれていたので、「こんな片田舎の小さな企業が国際貢献しているなんて!」と大いに称賛してくれまして。
「こういう企業とぜひ取引したいんだ!」とまで話してくれ、その場ではリップサービスだと思ったのですが、後日その企業と直取引をしている日系大手さんが我が社に訪問され、先方のご意向にしたがって口座開設をしてくださり、本当に大口のお取引をスタートさせることができたんです。
――モンゴルでの奉仕活動が、予想もしなかった大きな幸運を運んでくれたんですね……!
そうなんですよ。ランドセル2つを持ってモンゴルに出向き、「この国にはランドセルを背負う文化はあるか?」と聞いて回ったのが、寄贈活動の最初の一歩でした。まさかモンゴルに持っていった2つのランドセルが、タイの企業さんとの大きなビジネスにつながるなんて、誰も想像しなかったことです。
申し上げたとおり、奉仕活動は無償の精神が大前提。はじめから見返りなんて何も求めてはいませんでしたが、これまでの頑張りが報われたんだと実感しました。人生で最高のご褒美をいただいた瞬間だと感じましたよ。
社員は家族のような存在。ともに地元貢献する人材に、格別の感謝を
――貴社の今後の展望について、どのように考えていますか。
これまで同様、会津になくてはならない企業としての活動を推し進めていきたいと思っています。若い社員も多いので、彼らが未来に希望を抱いて働いていけるような組織作りにも力を入れたいです。
――職場の雰囲気や社風についても教えてください。
建設業というと男性社会的なイメージを持たれる方もいるかもしれませんが、弊社は女性もしっかり活躍できる会社だと思います。女性が社内の潤滑剤のようになって、明るい雰囲気を作ってくれているんですよ。
グループ会社を含めると、現在100名以上の社員が勤務していますが、一人ひとりの誕生日には必ず私から感謝のメッセージを添えて、商品券をプレゼントするようにしているんです。社員にとって家族のような経営者でありたいと、かれこれ5年くらい続けていますが、私の誕生日には社員も全員でお祝いしてくれて、涙が出るほど嬉しいです。
歳をとると名前が思い出せなくなることもありますし、一人ひとりにプレゼントを贈るのは楽ではありませんが、社員が喜んでくれるのを見るのが嬉しくて。身近に感じてくれているのかなと感じますね。
――従業員の皆様にも、あたたかな心で尽くし続けているのですね。最後に、この記事を読んでいる読者へメッセージをお願いします!
最近はUターンで地元に戻って働く方も増えていると思いますが、そのような大きな決心をして会津に戻ってきてくれる方には頭が上がりませんし、大切にしていきたいと思っています。
もちろんUターンだけでなく、弊社に興味を持ってくださり、ともに地域のために力を尽くしてくださる方には感謝の思いでいっぱいです。ぜひ今後のキャリアの選択肢に、弓田建設を加えていただけると嬉しく思います。
弓田建設の詳細はこちらから
ホームページ:https://www.yumita.co.jp/